2020年3月13日金曜日

ちやほやされたい、でいいんじゃないですかね。


こんにちは、ながいです。
さて、先ほど書いた渾身のブログさんが
フッ、と。まさにフッと。
消えてお無くなりになりました。
半年に一度ある事件ですね。
悔しさを噛み締めながら
全く別のネタを今書いています…。
(同じ記事ってほんとかけないよね…)
 
 
 
 
 
最近、個人レッスンを
セミナールームでよくやってますが
新たなチャレンジやプロジェクトを
開始する方が多いです。
 
その際、きちんと形になるように、
そんな想いで売りたいサービスの言語化や
コンセプトの作成などもするんですが
最初に不純な動機があるって、
結構重要だなと思っています。
 
不純な動機。例えば
「もっとちやほやされたい!」とか
「目立ちたい!」とか。
そういう利己的なやつ。 
でもね、こういう欲求的なのがある方が
すんなり上手くいくんじゃないのかな?と。
それはなぜか?
 
 
  
 
 
もちろん誰かの役に立つとか
必要とされるっていうのも本音だと思うし
それでこそ動ける、って人も多い。
そして逆にそんな利己的な考えって
ダメなんじゃないの?と
思っている人も多いはず。
 
でも、ちやほやされたいとか
目立ちたいとかって
すごく素直な気持ちだと思う。
ちやほやされたい、ってのは
人から大切にされたいという気持ちだし
目立ちたいっていうのも
自分の価値を本当はよくわかってるからだし
逆に、前に出たいという人でなくとも
フィクサー的な存在でいたい、
っていうのは裏方というのものに
誇りがあるからこそ言える言葉だし。
 
やりたいことに「自分の欲求」が
ある方がただ「誰かのために」よりも
ガンガン動けるものだと思う。
ていうか、
自分自身がそれを不純と感じて
認めてあげないままだと
どこかで帳尻合わなくなって
しんどくなってくるのがオチです。
 
 
 
 
 
 
まずは不純な動機でいいのだ。
それだけじゃ動いちゃいけないっていう
ブレーキは、もったいないよね。
 
動き出してから、上手くいってから
なんだって後づけはできるもの。
ていうかきっと上手くやってきた人は
そうやってきたはず。
 
きっかけは不純でいいのよー。
てか不純じゃない始まり方なんて
きっと本当はないんだよ。
不純な想いで動き出しても
夢中でのめり込むうちに
一周回って純粋な想いに変わって
人を惹きつけていくものになるんだよー。
どうぞ、堂々と持ってくださいね。
ナガイミホ



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